僕、9歳の大学生

「ギフテッド」と呼ばれる天才児の、本人および両親によるエッセイ。出版年から逆算すると、10歳のときに書かれている。

「知性」と「子供らしさ」とは何だろうかと思った。読んで感じたのは、Web小説で流行りモノの転生者みたいだな、ということ。子供の身体に、大人の中身が入っているみたいな。でも実際には、知性が並外れているだけで、普通に生まれて普通に育っている普通の子供だというのが、すごく面白かった。興味深い、という意味で。

「子供らしさ」とはおそらく「未熟さ」とほぼ同義なのだろうと思うのだけど、文章を読む限りそういう意味での子供らしさはどこにも感じられない。けど、実際に身体的に成長途上であるのは間違いないわけで、それが何らかの「子供らしさ」として現れることはないのだろうか、という点がとても知りたくなった。分別はあるし、感情的にも安定しているように見えるし、本からうかがえる姿に子供らしさはどこにもない。感情の起伏も、知性の影響を大きく受けるということなのかしら。

ところで、目次に「祥君の原稿はすべて英文で書かれたものを日本語訳しました」と注釈があるが、どこにも翻訳者の名前がない。誰が翻訳したのだろう。「出れる」と「ら」抜き言葉を使ったり (P. 46)  、おそらく原文で「email」と書かれているものを「電子メール」とせずに「イーメール」と書いたりするあたり (P. 48)、名詞の「話」を「話し」と書いたり (P. 49)、翻訳することで原文の知的な印象を損なっている気がしてならない。