ありのままの私

安冨歩著「ありのままの私」の読後感。

「女性装の東大教授」が女性装をするまでの経緯について書いた本。

最近この「女性装の東大教授」という紹介でテレビ出演しているのを見かけたことがあったので、読んでみました。わざわざそういう紹介をするからには、てっきり研究の一環として女性の衣服を身につけているのだろうと思っていたら、単に「着たいから着ているだけ」なのでした。それを「女性装の」と形容詞をつけることには、何とも言えない違和感があります。着たいものを着ているなら、単にその人の好みの問題だし、そこだけあげつらって紹介する意味がよくわかりません。もし着物を着る人だったとしても、「和装の東大教授」とはわざわざ言わなそうだもの。

きっとそれが「差別」というモノなのでしょう。テレビはまったく見ないからよく知らないけど、きっと扱いもひどいんだろうな。この本の中にも、テレビへの出演で嫌な思いをした体験が書かれています。といっても、この頃はマスメディアの凋落ぶりが著しいので、ひどいのは別にLGBTの人たちの扱いに限らないだろうと思っています。もっと一般的に、あらゆる面でひどそう。そんなことだから、よけいに人が離れて行くのでしょうに。ふと「街場のメディア論」を思い出しました。

個人的には、男物の服を着ようが、女物を着ようが、TPOを押さえているなら好きものを着れば良いと思うし、男性を好きになろうが、女性を好きになろうが、ストーキングは困るけど、お互いが受け入れ合えるなら第三者が口をはさむべき問題じゃないと思います。が、そうは思わない人も多いから、いらぬ苦労をすることになるのでしょうね。

常々不思議に思っていたのは、女性が男物を着ても「好みの問題」で済まされるのに、逆は変人扱いされること。どうしてなんだろう。でも、確かに自分も、女性らしく振る舞わない人がスカート姿なのを見たら違和感バリバリ。そのくせ、スコットランドの男の人たちの巻きスカートに対しては特に何も感じない。単に慣れの問題ってことですね。男の人も普通にスカートをはくようになればいいのに。夏なんて、絶対にスラックスよりスカートの方が涼しい。これぞエコ。