さとうみつろう著「神さまとのおしゃべり」を読みました。
いわゆる自己啓発系の本。というより、哲学とか宗教に近いかもしれません。
ダメサラリーマンな主人公みつろうと神さまの掛け合いコント集で、「笑えるスピリチュアル ~ 笑えるトキはシっている ~」というサイトで公開されている記事をまとめて編集・加筆したものです。
書いてある内容には「なるほど」と思う部分もあるのですが、自分には絶賛するほどのものには感じませんでした。
その理由のひとつが、コントとシリアスな話の織り交ぜ方が何とも言えずわざとらしく、白々しく感じてしまうこと。ドタバタ喜劇風な神さまとの掛け合いの中に「神からの啓示」的な何かが織り交ぜられているのですが、その悟りから周囲を感動させていく場面にどうにも嘘くささを感じてしまう。「そんなこと言ったら、普通は感動するより引くでしょう」みたいな。
もうひとつの理由が、「気づき」という言葉を多用していること。どうやら自己啓発系セミナーではよく使われる言葉のようです。「気づき」という名詞として使われるだけでなく「気づきを得る」のように使われることもあり、ことさら気持ち悪い。「気づく」ということは本来なら個人的かつ自発的な行動のはずなのに、他者から誘導されて「気づきを得る」という気持ち悪さ。著者はこの言葉に日常的に慣れ親しんでいて、違和感を持たないだけなのでしょうけど。
辛口になっちゃったけど、内容自体は決して悪いものじゃありません。
巻末の「ミソカモウデ」を読んで、キリスト教の食前のお祈りの意味に気づきました。食事のたびに感謝を要求するなんて、ずいぶん面倒な神さまだと思っていたけど、別に要求してるわけじゃなかったのね。その日あった「感謝したいほど良いこと」を言葉にするのを習慣化することに意義があるだけで。そう考えると、毎日の終わりにそれをするというのは、幸せになるための行動としてはとても理にかなってるんだな。毎月ミソカモウデなどと言わず、毎日やれば良いのです。
この本はたぶん「気づきを得たい」と思う人にとっては、すばらしい本なのだろうと思いました。