ぼくたちに、もうモノは必要ない

佐々木典士著「ぼくたちに、もうモノは必要ない」を読みました。

「ときめき」の次のキーワードが、「ミニマリスト」らしい。この本は、その「ミニマリスト」によるミニマリズム礼賛の本です。

「ミニマリスト」の暮らしがどんなものかを手っ取り早く紹介するため、巻頭にミニマリストたちの家の中の写真が紹介されています。紹介されていたのは、こんな人たち。

本に掲載された写真と似たような写真は、それぞれのブログで見られます。写真を載せていない人も中にはいるけども。

先週、朝のNHKニュースで紹介されたそうです。肘氏が「NHKおはよう日本でのミニマリスト特集の反応」という記事に書いていました。反響ツイートが、なかなか味わいあって面白い。肯定派はあまり多くないように感じました。肯定に分類されてるものの中にさえ、どう見ても肯定じゃないツイートが混じっていたり。

たぶん、人間の自然な欲求に逆らっている思想だからなのじゃないかと思います。だって、あまり居心地がよさそうな部屋に見えないんだもの。座布団さえないとか、果ては寝袋があれば布団もいらないとか。使いもしないモノであふれた部屋を何とかしたい、ならわかるんだけど、普通の必需品さえ捨てちゃうってどうなんだろう。

そして、その「捨てる理由」がまた観念的すぎて理解しづらい。

そうして増えすぎたモノは、今度は逆に自分に牙を剥いてくる。時間も、エネルギーも「自分」と化したモノに奪われるはめになる。そうしてかつて自分の道具だったモノが、自分の主人になっていく。モノはもう機能のために使われるモノでも、「自分の価値を伝える」ためのモノでもなくなる。ついにモノは「自分を損なう」モノになる。モノが主人で、自分はその奴隷だ。(P. 97)

まるで言葉遊びをしているだけのようにしか見えないんですよね。

その上、ところどころ矛盾があって気持ちが悪い。たとえば、「追加リスト15」の中で「考えるな、捨てろ!」と断じておきながら、すぐ後ろの項の説明の中に「『これは本当に捨てるべきモノだろうか?減らす目的のためだけに、減らそうとしていないだろうか?』と問いかけることだって必要だ。」などと書いてしまうわけです。モノを捨てるにあたって「考えるな」と言うなら、問いかけちゃまずいんじゃないの。

自分の家の中を片づけるにあたり、景気よくモノを捨てましたけど、別に「所有欲から解き放たれて自由になるため」にやったわけではありませんでした。片づけをサボっていたのをまとめてやっただけ。収納場所に限りがあるので、そこに収納可能な量まで減らしただけ。それ以上、特別減らしたいとは思いません。著者は「『ストック』という仕組みを捨てる」と言うけど、ストックをやめるつもりもさらさらありません。だって必要だもの。3.14地震のときに、痛感しました。ストックのない生活は、危険だなと。

片づけてすっきりしてきた自分の家を見せると「もしかしてミニマリストを目指してる?」と聞かれることが最近ときどきありましたが、そんなわけで、目指してません。ミニマリストを自称する人たちとは、どうも何かが違う気がするのです。要するに自分の場合は「ただ適正な量になるまで片付けただけ」という当たり前の行為の結果に過ぎず、特にこれといって思想も何もないところが違うのかもしれません。